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独り言 Archive

思春期さながら。

 
ブーコちゃん 
 
 
外は、激しい雨。

ひと雨ごとに、寒さ増す季節。
今日も、日中から、
フリースと膝掛けを手放せないほど、
気温が低かった。

そろそろ、ストーブをつけてもいいのでは、
と猫ハハが言うと、間髪入れずに猫イモが、

「一度つけたら、もう消せないでしょ!」

と半ギレで、着火を阻止する。
言わんとすことはわかるが、
省エネを優先しすぎて、みなが風邪を引いたのでは、
全くもって、省エネの意味がないと思うのだけれど、
去年に比べ、格段に高い燃料代、
猫イモが言うのも、無理はないのである。

そんな寒い中、
あたしは、いつものように机に向かい、
論文を読んでいた。
時々、疲れ果てて、ぼーっと空を見つめながら、

そういえば、あたしは、

ボーカルより、ベーシスト、
ピッチャーより、ショート、
フォワードより、ディフェンス、

の方が、好きだなぁーとか思っていたら、

あんこより、カワが、
生クリームより、スポンジが、
黄身より、白身が好きなのも、

なんとなく、納得がいくなぁーなどと考えていた、
そんな感じの木曜日。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

あんことカワ、生クリームとスポンジの法則が、
ボーカルよりベーシスト、ピッチャーよりキャッチャー、
というケースと、全く同じかというと、
実際は違うのと思うのだけれど、
かといって、1番より2番がいいという意味でもなく。

でも、正直、1番に興味はない。
自分がなれないからじゃないか、と言われると、
まー、それもなくはない、と思うが、
自分のことではなくても、
やはり、1番に興味はない。

1番というと、なんとなく、
上の方を想像しがちだが、
なにも、1番とは上に限らず。
下の1番もあるわけで、
あたしは、ともに1番に興味がない。

というより、どうやら、そういう意味の、
序列に興味がないらしい。
上とか、下とか、
いいとか、悪いとか、
そういう優越的な、
あからさまな相対的評価が苦手らしい。

だから、望んでもいない他人からの、
「君は正しい」的な評価をいただくと、
「だから、なんざんしょ?」と思ってしまう。
望んでいる相手からの評価や、
受けるべくして受ける評価なら、
もちろん、それが悪くても真摯に受け止めるが、
そうでない場合は、心で思っているのは自由ですが、
わざわざそれを、あたくしに言葉で伝えないでください、
と思ってしまう。

きっと、人は人を、心のどこかで評価していて、
それは、あたしも例外ではなく、
ただ、本人の自己に関わる部分を、
しかも、上から目線で直接的に評価されると、
人間の出来ていなあたしは、非常に気分が悪い、
と思ってしまう。
自分の身の回りに、そういう人は少ないが、
事故のように出くわすこともあって、
そんなときは、心穏やかな時間を、
一瞬にして奪われたようで、
ますます気分が悪くなることもある。

しかし、よく考えると、自分だけではなくて、
自分の好きな人を他人が評価するのも、
また、時に、色んな想いをわかせる原因となる。
世の中には、いろんな人がいるので仕方ない、
と言ってしまえばそれまでだけれど、
この頃は、自分も少し、気をつけなければ、
と思うのだ。

なぜなら、今まで自分がこうだ、
と思っていた人が、実は全然違っていて、
ただ、人よりちょっと、表現がおおざっぱだった、
ということが、実際にあったからだ。

評価というよりは、
認識といった方がいいのかもしれないけれど、
その人を知らずして、すぐに判断するのは、
本当に危険なことだし、
その判断間もない頃に述べた感想は、
あくまでも感想であって、評価でも認識でもないこを、
きちんと自覚せねばと思う。
当たり前のことが出来ていないだけではないのか?
という話もなくはないが。

以前、このブログで、
直感というのは、これまでに自分が経験してきたことが、
瞬時に繋がってわく、優れた感覚だ、
というような話を、ある学者さんがしてた、
というのようなことを書いたことがあるのだけれど、
それは、人それぞれが極めたいと思っている「その道」や、
日常的なこととは異なる「特別なそれ」の場合であって、
誰かを判断する、というような直感など、
いかに頼りないか、と、少なくてもあたしは思う。
あとで、やっぱり違ったな、
と思うことは、決して少なくないことからも、
自分の「人に対する直感」など、
そう簡単に信じるものではない、と思うのだ。
いや、それで、いいようにも思う。

自分の直感は、疑うくらいでちょうどいい。

何かのフレーズを、自分の一部に利用することは、
必要以上に自分を正当化したり、
都合の良い自分を創り出すための、
便利なパーツでしかないような気もする。

などと。

そんな思春期さながらのことを考えながら、
勉強をしていた本日は、実はお腹が痛くて、
何度もトイレへ通っていた日でもあり。

たぶん、昨夜、「超」がつくほど辛いお菓子と、
今日、「超」がつくほど辛いラーメンを、
いい気になって食べた結果に違いない。
卑しさにくわえ、寒さも手伝って、
ますます、トイレがお友達だった今日は、
ブーコにとっても、やはり寒かったようす。

ストーブをつけないこの時期と、春先が、
もっとも室内が寒く感じる。
彼女の鼻の頭も、肉球も、耳も、
すっかり、しゃっこくなっていた。
(注:北海道弁=冷たく)

普段は、見向きもしてくれないけれど、
寒くなると、寄ってくるブーコ。
今日は、日中からあたしの膝の上で暖をとる。

ブーコちゃん 

「えっこらよっと」

ブーコちゃん 

「なんか、座り心地悪いし」

ブーコちゃん 

「でも、寒いから、我慢してーっと」

という感じで、どっかり乗り。
あたしにとっても、ブーコは湯たんぽである。
しかし、長時間は持たない。

ちょっと、ブーコ、よけて。
ちょっと、ブーコ、おりて。

ちょっと、ブーコ、聞いてるの?

ブーコちゃん 

「えーっと、聞こえませんが、なにか?」

みたいな感じで、全く目を合わせないブーコ。
このあとも、ややしばらく、あたしの膝の上を陣取って、
いい加減、暖まったころに、退散、そしてエサ。
食い気だけは、飼い主に負けないらしー。

そんなこんなしているうちに、
あっという間に陽が落ち、
あっという間に夜になった。

最近、考え事が多いのは、
たぶん、切羽詰まってないからで、
でもまー、そんなふうに、脳内に、
大学院以外のことを考えられるスペースがあるのも、
休みの特権であると思えば、それも良し、とした。

昨日で終了した勉強会のお礼の返事が、
今日、数通届き、開いてみたらば、
心温まるコメントだったりして、
人の優しさに、しみじみありがたいと、
感謝したりしながら、コーヒーをすする。

好きな人たちのブログを見ながら、
へーとか、ふーんとか言いつつ、
今日も、みな元気でいることに、
なんとなくホッとする。

明日は大学院

論文は読み終えているので、
今宵は、自分のことをちょっとして、
ブーコと戯れて、いつもより早い就寝にしよう。

明日のゼミ終わったら、新学期までのわずかな時間、
あたしの中から、研究も、勉強も、放り去ることにした。
月曜日からは、どのみち、すべてが始まるのだから。
思いっきり、自分の好きなことをする2日間にして、
頭と体と、そして心を、解放するのだ。
きっと、それが、次へと繋がると信じて。
↑繋がらなかった場合は想定していない

というわけで。

季節の変わり目、どうかみなさん、
お体は大切に。


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コメントという行為から。

 
絵手紙 
 
 
のご挨拶を絵手紙で。

と、筆をとったのは、あたしではなく、
猫ハハである。

ブログに載せるの?」

と聞かれ、いつの間に知ったんだ?
と、一瞬ドキっとしたが、

「猫の母です♪って紹介してね」

と、なぜか無意味なアピール。
ブログを読んだことも、
そして、読む気もないくせに。
何故そこで、自分を売るのかは謎である。

猫ハハは、こうして時々絵手紙を描く。
いつもは2〜3枚描いてやめるのだが、
今日は、挨拶をしたい先が結構あるとかで、
まとめ描きをしていた。
そのせいか、どんどん雑になっていくのが、
絵にも現れてしまい。
それでも、描き続ける猫ハハ。
どうしても、今日中に終わらせたいらしい。

そんな絵手紙の本日の題材は、
バラの実とナナカマドの実。
本人的には、らしく、がテーマらしい。

絵手紙 

なら、お茄子ちゃんにすりゃーいいじゃん。
っと、思ったのだが、お茄子はメジャーなので、
こちらにしたとか。
わざわざ、ナナカマドの実を取りにいき、
絵手紙を書いていた。 
 
絵手紙 
 
あたしは、絵手紙をやらないので、
よくわからないのだけれど、
猫ハハが言うには、
まず、筆先をふるわせながら、
細かいところを描かないように、
全体像を仕上げるらしい。

そして、あとはそこに色をつけ、
濃淡を使い分けることで、
絵手紙らしさを強調するとか。 
 
最後にハンコを押して、はい終了。

絵手紙 

つーか、この絵手紙、どーなの?(笑)

以前、イカとか、魚とか、桜とかのを、
もらったことがあるんだけど、
どうみても、そっちの方が良かったし。
これ、いまいちじゃん。
と、勝手なことを言う娘。
ふてる猫ハハ。

小学生にも負けない低次元な会話の応酬。

そんな感じで、金曜日。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

って、前置きが長い?(笑)

さて、そんな感じで、
猫ハハの絵手紙の画像を撮ったりしながら、
今日は、ショボ携帯返却+スーパー以外は、
家にいる時間が長かった。
痛も鎮痛剤のおかげで大分落ち着いた。

そんな中、いつも読むブログの一つにお邪魔したら、
どこかで聞いた台詞とともに、
共感できる文章が書かれていて、
思わず、コメントを投稿してしまった。

コメントを書く瞬間は、こんなふうに、
共感とか、関心とか、もしくは感心とか、
時には、反感であるかもしれないが、
ともかく、心の中の何かの針が動いた瞬間が多い。

だから、あたしのブログのような、
今日こんなことがありました的なことよりも、
自分はこう思う、こう感じる的な、
その人の視点が強く反映されているものの方が、
コメントしやすいのかもしれない。
もちろん、あまりに極端だと、心が振れても、
なかなかコメントしずらいが、
興味深いという意味での面白さを感じると、
ちょっと書いてみようか、と思えるのかもしれない。

大学院の先生の言葉で、
個人的に好きなフレーズがある。
と、また先生をネタにするのはどーか、
と思うのだけれど(笑;)、
先生はときどき、

「目の付け所」

という表現をなさる。
あたしは、この表現が地味に好きなのだ。
このようなフレーズが出るのは、
基本的に、大学院での研究の話とか、
それに関係することが話題になっているときなので、
一般的なことを話しているわけではないのだが、
好きな理由は、たぶん、自分になくて、
かつ、ほしいものだから、でもある。

同じ出来事があっても、A視点とB視点では、
見え方も、感じ方も、それによる表現もことなるように、
研究も、それぞれの分野によって、
同じ事象が異なった解釈で語られる。
目の付け所が、まさに異なる。

先生のおっしゃっているそれは、
勉強不足のあたしごときが、
ここで書いていることと一致しているわけではない。
でも、この目の付け所に共感できたり、
感心、尊敬、感動、批判、
まーなんでもいいのだけれど、
そんなふうに心が動いた瞬間、
何かが変わると思うのだ。

ある先生は、それを「気づき」といい、
また「心が揺さぶられる」ともいう。

揺さぶられる、というと、
かなり、劇的な変化、という感じがするが、
大なり小なり、何かが動かなければ、
そのあとに続く考えや行動などに、
変化は生じないだろう。

話を戻して、これをブログで考えると、
普段は読んでいるだけのブログに、
自分がコメントをつける瞬間は、
自分にはない他者の「目の付け所」が、
新鮮だったり、興味深かったりする場合や、
自分の心の強い想いと重なったりしているように思う。
それは、自覚するほどのものではないかもしれないけれど、
何かの変化が起こったからこそ、
読むだけだった行為から、書くという行為へと、
変化が生じるのではないだろうか。

もちろん、人によっては、アピール的だったり、
おつきあい的だったり、別に感動や共感、反感じゃない、
というケースもあるだろう。
でも、じゃー、なぜ、その記事にコメントを書いたのか?
と問われたら、どんな答えが返ってくるのだろう。

なんとなく?

あたしはこの何となくの中に、
何があるのか知りたい、と思うことがある。
なんとなくという感じにこそ、
自覚していないけれど、
確実に感じている何かがあるのでは、
と思うからだ。

いつもと違った行動をする。
その理由はなんだろう?

今日は、自分のコメントを書く行為と、
目の付け所という言葉がリンクして、
色々考えていたのだけれど、
やっぱり、人の心を動かしている、
人間のの中というのは面白いと思うのだ。

人が小さな変化をする瞬間と、その理由。
人がその変化に気づく瞬間と、その後のさらなる変化

そんなことを考えながら、
ふと思い出したのは、
若いころの自分が、

「今、何を想っていたの?」

と、よく相手のの中に入り込みたくなったこと。
をかち割って、見てみたい、
と、悪趣味のようだが、よくそう思ったこと。
もっと若い頃は、思っただけではなく、
すぐ、聞いたりもし、自分で考えろ、とか、
放っといてくれ、と言われたこともあった。

年を重ねて、やっと、そんなに簡単でない、
ということに遅まきながら気がつき、
その頃は、ユングや河合隼雄氏の本を読んでいた。
学部時代には、履修しなくてもいい心理学の講座を、
2コマも受講していたっけ。

そんな感じで、結局、今でも、
人が何を想い、何を感じているのか、
ということに対する興味は、
アプローチが違うだけで、昔と変わらず持っていて、
同時に、自分自身に対する興味も、
昔以上に持つようになった。

自分が何をどう思うのかを知らずに、
他人の何をどう想うかはわからない、
と感じるようになったからだ。

昨日、とあるところで話したけれど、
「地に足がつく」とは、まさに、
この、自分がどう思うか、
ということを自覚しているということでもあり、
よって、自分の研究を思い出すと、
まったく地に足がついていないと、
反省しきりなのである。

ま、それはさておき。

この子のの中だけは、
一生かかっても、知り得ないんだろうな、
と思うのである。

ブーコ 

ブーコ 

ブーコ 

ぺろりと出した舌が、
昨日よりもおマヌケ度を増していて、
思わず、ギュって抱きしめてしまうのです。

どれだけ、鬱陶しがられても(笑)。


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遺伝子バンザイ理論。

 
夕焼け空 
 
 
画像のような空にならないかなぁ。
と思わずつぶやく本日は、
朝からじっとりし、さらに、夕方には、
じゃんじゃかと雨が降り出した。

低気圧の影響か、若干の偏頭痛もする。
今日もBBCのRADIO2をBGMに、
勉強するも、目には見えないが、
今ひとつ感が、あたしの周りに、
黄土色のような空気を噴出している気がする。

追い打ちをかけるように、
この間のプチジョギング筋肉痛が悪化し。
昨日より、今日の方が痛くなっているということで、
確実に老化していることを痛感する。

そんな感じの水曜日ですが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

さて、突然ですが。

あなたは性格が悪いですか?

と聞かれたら、なんと応えるだろうか?

悪い。
ぼちぼち。
まーまー。
そーでも。
悪くない。
結構いい。
すごくいい。
かなりいい。

別にこたえは何でもいいのだけれど(なら聞くな)、
じゃー、その性格は、どうやってできあがったのか?
と聞かれたら、何というだろうか?

親のせい。
家庭環境のせい。
友達の影響。
仕事の影響。
社会的要因。
顔かたちのせい。
肉体的な影響。

などなど、まー、これも何でもいいのだけれど(なんだよそれ)、
実は、社会的な要因とかか、肉体的な問題とかではなく、
すべてが、

遺伝子のせいだったら?

非常に差別的ではないか?
という発想のような気がしれないけれど、
遺伝子によって、性格が異なるとしたら、
もうこれは、どーしようもない話かもしれない。

実は、今日、↓こんなのを読んだ。

'Divorce gene' linked to relationship troubles

どうやら、ナンチャラという遺伝子があって、
その遺伝子の特定のタイプを持っている男性と、
そうでない男性の間に違いがある、という内容。
何が違うかというと、

一夫一妻を好むかどうかを左右する

という遺伝子だそうだ。
離婚などの危機を回避できるかどうかも、
この遺伝子に関わっている、かも?
という話である。

さらに、ナンチャラという違う遺伝子を持った人を
調べた研究結果では、結婚していない人が多く、
こういう男性と結婚した妻を調べると、
この遺伝子を持っていない男性と結婚した女性より、
結婚に対する満足度が低かったらしい。

これに関連して、リンクがあって、
ここには貼らないけれど、
「無慈悲な行動に関連する遺伝子」とか、
「思いやる遺伝子」なんていうのもあるらしい。

あたしは、この手のことは分野違い甚だしいので、
全然わからないし、そもそも、この調査方法に、
ゲームなどの仮想空間が使用されていることに、
ゲームと実社会の相関はとれてんの?とか思し、
信頼性はどうなんだ?とかも思うけれど、
妄想するには悪くない、
と思い、今日、ブログに書いてみた。

でも、書きながら、
性格行動の多くが遺伝子によって規定される、
と考えると、実は、人生って、

ちっとも楽しくないじゃない。

とも思った。
たとえば、この人は、こういう行動をするので優しい、
とか、思いやりがある、と思って嬉しくなっても、
それは、

遺伝子です。

で終わり。
ズィ・エンドである。

これだけじゃない。
逆に、アヤツは本当に性格が悪いよね的な話になり、
もっと、こうしたらいいのに、なんていっても、

遺伝子です。

で、話は終了してしまう。
とっても便利で都合が良いじゃないか。

もちろん、アホじゃないので、
いや、あたしはアホですが、
一般人はそんなに単純ではないので、
すべてが遺伝子であーる、などとは思わないし、
もし、仮にそれがすべて遺伝子のなせる技である、
と若干強引に理由づけしたとしても、
人は、変容する可能性を探るにちがいない、と思う。
でなければ、人の心や行動の原因や理由を研究したり、
身近でいえば、人の心を慮ったりする意味がない。
だって、

遺伝子ですから。

無知は罪だ、といった人がいたような記憶があるが、
無知は時に幸せをもたらすこともある、といって人もいた。
まさに、

知らぬが仏。

ん?なんか、話がおかしーな。
整合性、ゼロだな。

まーしょうがない。

だいたいあたしがこういうことを書くときは、
化粧もせず、朝からずーっと家にいて、
勉強に疲れたときであるからにして。
ええ、今もまさに、そういう感じでして。

こういうふうに、わけのわからないことを口走るのも、
きっと、あたしの中の、

遺伝子のせいだ。

そうだよ。
あたしの口が悪いのも、
好き嫌いが激しいのも、
気まぐれなのも、
持久力がないのも、
人よりよく食べるのも、

ぜーんぶ、遺伝子のせいだ。

これ、名付けて、
遺伝子バンザイ理論」である。
てか、小学生以下だな、この理論
理論と呼ぶあたりも終わってる

さて。

情けなさが炸裂しているので、
ブログはここまでにして、勉強の続きをしよう。
ああ、もうすぐ夕食の準備の時刻じゃないですか。
はェーなァ−、おい。

明日は大学院で勉強会があり、
そのあと、談話会&打ち合わせが待っている。
帰宅はきっと、0時ちょっと前だろーな。
今宵も少し早寝をして、体力を温存せねば。
雨でジョギングもできなさそうだし。

というわけで。

みなさんの遺伝子バンザイ理論もお聞かせください。
↑だから、そんな理論はないんだって

でばでば。


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 まだ言うか・・・。



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先延ばし行動といい訳。

  
HIMAWARI
 

ひまわりが元気に咲いていられるのも、
あと何日だろう。
今日も、恐ろしく寒い。

そんな北海道ですが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

あたしは、今日、昨日行きそびれた大学院へ行ってきた。
論文やらなにやら持って行ったけれど、
書籍のコピーをすることが主たる作業だったので、
予想通り、コピー以外のことはやや蔑ろに。

先日、前期の課題を出し終えてから、
どうも、エンジンのかかりも、回りも悪い。
やることは、相変わらず山積しているのに、
ついつい、先へ、先へと延ばし、
気がづけば、5日間も過ぎていた。

たぶん、あたしに限らず、
人は、やらなければいけないとわかっていることを、
ついつい先延ばししてしまうことがあるだろう。
このようなことを、

引き延ばし行動
先延ばし行動
procrastination behavior

というらしい。
たとえば、以下の論文には、このようなことが書かれている。


-----------------------------------------------------

 藤田正(2005)(→PDF)
 先延ばし行動失敗行動の関連について」
 教育実践総合センター研究紀要(14), pp.43-46

 私たちは、日常生活の中で、
 やらなければならない学習課題や仕事を、
 何らかの理由によって先延ばしすることがある。
 その結果、課題の提出や約束の期限に間に合わなかったり、
 間に合ったとしても課題の完成度が低くなってしまうなどの
 失敗をよく経験している。
 このような大学生における学業領域での先延ばし傾向は、
 よく見られることが報告されている。
 Solomon & Rothblum(1984)は、
 「先延ばし(procrastination)とは、
 主観的な不安や不快感を経験する時点まで、
 不必要に課題を遅らせる行為である。」
 と定義している。
 このように先延ばしは、課題を始めることを遅らせることに関係し、
 結果として活動を早く行わなかったことについて
 悩むことを経験することになる。

-----------------------------------------------------


また、下記のサイトでは、以下のようにまとめられている。


-----------------------------------------------------

 向後千春・中井あづみ・野嶋栄一郎(→HP)
 「eラーニングにおける先延ばし傾向とドロップアウトの関係」
 
 するべきことになかなか手をつけない先延ばし行動は、
 誰でも一度は思い当たるだろうありふれた行動である。
 本邦では心理学や教育学からの解明や
 介入方法の開発はほとんど行われていないが、
 海外では研究が蓄積されている。
 先延ばしの中心となる行動は、
 課題の遂行または達成を延期することであるが、
 Schouwenburg(1995)は、先行研究から、
 先延ばし行動の特徴を次の3つにまとめて挙げている。

  * 態度や行動に即応性が欠けていること
  * 意志と行動が一致していないこと
  * 競合する活動のほうを優先すること

 これに加えて、先延ばしする必要性がない点
 (Solomon & Rothblum, 1984)、
 行動の制御不足(Tuckman, 1991)、
 不快感を伴うこと(Burka & Yuen,1983)など、
 研究者によって着目点が付加されながら研究が発展している。
 これらの研究から、先延ばしとは時間の枠が
 設定されている課題の遂行または達成を、
 その枠を意識しているにもかかわらず理由もなく延期することで、
 ネガティブな感情を伴うことが多い行動と概括することができる。

 課題先延ばしすると、
 期日が厳密に決められている課題の場合は、
 特に準備や遂行にかける時間が短縮される。
 そのため課題の困難度や負荷の程度を判断し、
 課題達成過程を吟味し、
 課題が要求する技能や知識を検討して
 それらが不足している場合は
 新たに身につけるなどの系統的な行動が取りにくくなる。
 その結果、当該課題の完成度が低下するか、
 達成できないおそれがある。 

 Ferrari(2001)は、
 先延ばしの常習者は先延ばしをしない者よりも、
 認知的な負荷の高い課題において遂行速度が遅く、
 誤答も多かったと報告している。
 課題達成に失敗したと当人が感じると、
 自己効力感や自己意識、
 課題に対する動機づけや集中力が低下する。
 先延ばしは自己評価、神経症傾向、
 ローカス・オブ・コントロール、
 外向性などとの相関が示されている
 (Steel, Brothen, & Wambach, 2001)。
 また、期日に遅延すると、社会的制裁を受けたり、
 社会的信用を失うといった対人的、
 社会的影響が生じることもあると考えられる。

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引用した箇所は、いずれも論文やサイトの冒頭部分、
研究の背景や、はじめに、などに書かれているもので、
研究自体については、このあとに続く。

興味のある方は、名前の後ろの( )の中を、
クリックしていただければ、PDFやサイトに飛べるので、
そちらをご覧いただきたい。

自分が先延ばしをするとき、
それは、どんなときだろう?と考えると、
2つめの論文にある、
先行研究からまとめた先延ばしの3つの特徴、
* 態度や行動に即応性が欠けていること
* 意志と行動が一致していないこと
* 競合する活動のほうを優先すること
というのは、たぶん、
多くの人が共感できる部分ではないか、
と思うのだけれど、どうだろうか?

1つ目の論文には、先延ばし傾向の強い人ほど、
失敗する傾向がある、と書かれていた。
これは、失敗する人が先延ばしをする、
という意味ではないことにご注意いただきたい。
あくまで、先延ばし傾向の強い人、の話である。

この論文の目的は、

「学習課題先延ばし行動
 失敗行動の関係を明らかにする」

ということなので、課題以外のことをこのことに当てはめ、
「そうである」とは言えない。
けれど、敢えてちょっとだけ飛躍させ、
想像力を膨らませながら、
何かを先延ばしにするときについて考えると、
ちょっとおもしろい、と思う。
たとえば、

自分自身のすべきことを先延ばしするパターン。

誰かに迷惑をかけることなく、
結果、自分があとで困るだけの場合、
それは、まさに自業自得なので、
問題がない。

相手がいる場合の先延ばしのパターン。

これは、いろいろなケースが考えられるが、
結果的に、自分が困るとしても、
そこに行き着くまでに、相手という通過点があり、
さまざまなプロセスがある分、厄介なことになりかねない。

先延ばし行為のことをいろいろ考えると、
2つめの他者がいるパターンの方が、
人の心の働きの違いや、
それによる影響なども多くありそうで、
興味深い。

たとえば、約束、なんていうのは、
まさに、相手がいる話で、
これを先延ばしすると、面倒なだけではなく、
ややこしー話になる。

先延ばしには、きっと本人なりの「理由」があり、
それは時に「いい訳」となって、
心の中で叫ばれたり、他者へと伝えたりするのだろう。

そう考えると、先延ばし時のいい訳なんかも、
人それぞれ特徴がありそうで、なかなか興味深い。
中でも、

忙しい

という言葉は、先延ばしの常套句ではないか?
とあたしは感じる。
人は、忙しいと言われると、
先延ばしされても仕方ないような、
そんな気になることがある。
もちろん、いつも、ではないし、絶対ではない。

しかし、「忙しい」というのは、
なんと便利で、なんと心ない言葉かと思う。

よく、「心を亡くすと書いて忙しい」などというが、
自分の心ではなく、「相手に対する心を亡くす」というのが、
先延ばしにおける「忙しい」という言葉なのではないか?
というのが個人的所感である。

先延ばしをしていることをリストアップしながら、
それに対し、自分がどんないい訳をしてきたか、
また、どんないい訳を言っているか、
もしくは、今まさに言おうとしているか、
そんなことを考えると、

改めて自分を認知できるのではないか?

など考え、興味深いと思う今日この頃。
とか書きながら、
そんな暇があるなら、

早く、先延ばしにしていることをしなさいよ。

っという話である。
その通り。

というわけで。

みなさんの先延ばしと、
いい訳に興味を持ちつつ、
あたしは、大量にコピーしてきた論文を読むとします。

明日は、郵便局とドラッグストア〜だ。


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考える力と伝達能力。

  
on the train home
 

ちまたじゃぁー、
お盆休みだっていうじゃーないのさ。
あたしら院生、課題が終了するまで、

夏休みは、ハウス。

そんな感じで、月曜日。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

さて、あたくしですが、
昨日、今日と、ちょっと所用があり、
札幌へ行っておりました。
その帰りの電車で撮ったのが、今日の画像。
なんか、のどかよのぉ−。

のどかといえば。

猫ハハ、今年から、家庭菜園でトマトをやる!
っと張り切って、苗を買ってきたのが、

いつだったっけか。

ともかく、結構前に買ってきたんだけど、
これがまた、育たない育たない。
今年の北海道、ずーっとお天気が悪く、
しかも、雨も結構長いこと続いたこともあり、
ぜーんぜん、実をつけなかったトマト

で。

7月になって、やっと晴れの日が増え、
ポチラポチラ実をつけたものの、

いっこうに赤くならず。

夏休みの観察日記ばりに、
あたしも毎日みていたんだけど、
青いまま、腐ってしまうんじゃないか?
というほど、色づかなかったのだ。

しか〜し。

今日、帰宅して確認したらば、
なーんと、青々トマトちゃん、
赤くなり始めていた!

tomato

でも、↑これだけ(笑)。
うけるよねぇ。

猫ハハ曰く、今年はお試しなので、
来年から頑張るとのこと(笑)。
だので、このトマトは、食べるものではなく、
あたしも、観賞用と思うことにした(笑)。

実はこの他にもの、お豆(←何の種類かは知らない)と、
しその葉があるんだけど、
それらは、ボチボチ育っている。

植物って、たくましいなぁ−。

などと思いながら、
ありがたく食す今日この頃。
でも、好き嫌いは、直らない(笑)。
↑めちゃめちゃやん

で。

8月になって、やっと大学院の授業が終わり、
あとは、課題だけで、
(「だけ」といいきれないほど大変なんだけど)、
少し、心に余裕ができた・・・

気がする。

というか、

そう思いたい…。

って感じなんだけど(笑)、
少なくとも、7月までよりは、思考スペースに、
大学院や研究以外のことを、
まともに考える時間は増えた。

しかし、考えるということは、
難しいことだなぁ、っと思う。
でも、「考える」って、すごく広い概念だなー、
っとも思ったので、ちょっと調べてみた。
(↑調べたのは、国語辞典的な「考える」)

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考える (※出典:goo辞書
 (動ア下一)[文]ハ下二 かんが・ふ〔古くは「かむがふ」とも表記〕

 (1)物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする。
   思考する。
   「いくら―・えても解けない問題」

 (2)さまざまなことを材料として結論・判断・評価などを
   導き出そうとする。
   「転勤の件は少々―・えさせて下さい」
   「子供の将来を―・えて厳しく育てる」

 (3)それが…である、という感情や評価をもつ。
   …だと感ずる。
   「あまり堅苦しく―・えないで下さい」
   「一度の失敗を重大に―・えなくてもよい」

 (4)結論を出すための材料の一つとみなす。
   「相手の都合を―・えると無理は言えない」
   「道の混雑を―・えて早めに出る」

 (5)計画する。意図する。
   「人員削減を―・えている」

 (6)工夫して新しいものを作る。
   「この機械を―・えた人は天才だ」
   「いいことを―・えた」

 (7)罪を問いただす。処罰する。
   「(閻魔(えんま)ノ庁デ)―・へられつる事ども、
    ありつる有様/宇治拾遺 8」

 (8)比較検討や占いの結果に基づいて判断する。
   「宿曜の賢き、道の人に―・へさせ給ふにも/源氏(桐壺)」

 考える葦(あし)
   パスカルの「パンセ」の中の言葉。
   「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、
    だがそれは考える葦である」
   として、自然において脆弱(ぜいじやく)だが
   思考する存在としての人間の本質を表現したもの。

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7番、8番あたりは、
軽く「なに?」とか思うんだけど(笑)、
考えるって、辞書的意味だと、
こういうふうに分類されるんだね。
概念的な説明になると、
これまた違った話になると思うんだけどさ。

とあるところで、ちょっと話題になったんだけど、
「楽しさ」とか、「優しさ」とかってさ、
「あなたにとっての」みたいなのがどっかにあって、
共通しているがどうかって、わかんないっという話になった。
うん、確かにね。

「興味深さ=楽しさ」の人もいれば、
「笑いが起こること=楽しさ」の人もいるだろうし。
だけど、普段、なにげに話しているときって、

「楽しいよねぇ〜」
「優しいよねぇ〜」

って、お互いに共通認識を持たずに、
使っちゃってるんだよねぇ。
だから、「〜〜〜〜だよねぇ〜」と、
相手に同意・同調を求めて、
それに対して「そーだねぇ〜」と、
相手が言ったとしても、
実は、なんか違ってるってことも、
なくはないんだよねぇ。
↑ここでも同意・同調を求めている?(笑)

ま、なんだか話の内容が、
わけのわからん方向へ流れておりますが(笑)、
そういうわけで、ふだん、

「いろいろ考えてる」

とか言っても、その「考える」って行動一つとっても、
実は、いろいろあんじゃないのかな〜っていう話。
↑はい?(笑)

なんちゅーかさ〜。

考えるつっても、その種類、範囲、深さ等々、
人によって違うので、

「何を考えているかわからない」

とか言われる人がいるけれど、
実は、それは、
考えていることがわからないというより、
パフォーマンスの問題だったり、
むしろ、わからないとか言っている側の、
考える」の欠如だったってことも、
考えられなくはない、とか思うのだよ。

これの逆説で考えると。

「わかりやすい人」というのは、
実は、伝達能力に長けているとか、
わかりやすく表現できる、
という解釈も、できなくはない、
ってことになるのではないだろうか。

みたいなさ。

まー、そうは言っても、
やっぱり世の中には、
本当に何を考えているんだかわかんない、
っつー人も、大勢いるだろ〜な〜、
とは思ってるけどね。

……。

んー、もしかして、
ややこしくなってきた?

てか、うざくなってきた?(笑)

だねぇ〜。
そうだねぇ〜。

ちゅ〜ことで、こういうときは、
あれだ。

逃げるに限る。
↑卑怯な…

てことで。
ここらへんで、お開きにするのが賢明のようです。

つーか。

早く、課題やっちゃいなよ、YOU、
という話らしいので、頑張ります(笑)。

ではでは、みなさま、

よいお盆休みを。
ご旅行中の方、Have a good time!
これから出られる方も、お気をつけて♪

お土産話、お待ちしております。


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  っと、また嘘を申しました…。




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  しょがね〜な〜っと思ってくださった方もそうでない方も、
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