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嘘つきは泥棒の始まり。

 
me

人は、明るい場所と暗い場所なら、
暗いほうが嘘をつきやすい。

とある実験の結果だそうだ。

真実を確かめたいのなら、
昼間のほうがいい、ということか。

しかし、昼夜を問わず、
子どもの頃は言われた。
嘘をついちゃ、ダメ、と。

オトナになった今、周りを見てみる。
結構多くの人が、平気で嘘をついたりする。

ただ、嘘と一口に言っても、
いろいろな種類がある。

ごまかす。
だます。
いつわる。
うらぎる。

異なるラベルが貼られる。
しかも、ラベリングや状況によって、
嘘はその形態を非常に都合よく変えてゆく。

嘘つきは泥棒の始まり。

意味は読んで字の如く、
嘘を悪いと思わず、平気でつくようになると、
盗みも平気になってしまう、ということだ。

あたしは、この「盗み」とは、
物質的な「モノ」を指すと思っていた。
でも、嘘の常習犯が泥棒になった結果、
盗むのは、「モノ」じゃなくて、

未来にある「シアワセ」

なのかもしれないな~と思った。
最終的には、相手だけではなく、
自分をも不幸せにしていくかもしれない、
そんな、嘘つきさんちの泥棒さん。

嘘つき常習犯になってしまうと、
嘘をついていることにすら気づかなくなる。
その姿は非常に残念だが、
人ごとではないかもしれない。

悩める人が多い昨今。

人の心を苦しくさせる、
その原因を考えてみたときに、
嘘が関わっているんじゃないだろうか?
などと思った今宵は、

中秋の名月。

満月に向かって、吠えてみる?
あたしが吠えると、負け犬の遠吠えだな。
画像は、猫だけど。

にゃお~。

ババーがやってもかわいくないので、
動物の鳴き真似は、20代までとしよ~。
↑同世代に怒られそうだ(笑)  

 

Google Translateを使ってみて。

 
Google Translate

まず、画像が掲載されているのは、
↓こちらのページ。

iTunes プレビュー:Google Translate

もう、ご存じの方は、ご存じの、
iPhone向けアプリ

Google Translate」。

テキストであれば、57言語、
音声出力は、23言語に対応している、
翻訳アプリである。

使い方は、いたって簡単で、
たとえば、日本語英語にしたければ、
左側の表示を「日本語」にし、
右側の表示を「英語」にしてから、
テキストを入力すると、
画像の右側のように、
翻訳されて表示される。

英語中国語音声に対応しているので、
マイクのボタンを押し、日本語を話すと、
翻訳して、テキストで表示してくれる。
さらに、スピーカーのマークを触れば、
英語中国語音声を聞くことができる。

体系的な言語学習には向かないが、
海外旅行なんかだと、便利だと思うし、
とっさに、使用したい外国語が出ない場合、
また、発音がわからない場合などは、
非常に便利だと思った。
何より、なに気に、

「これ、なんて言うのかな~」

という疑問をもったときに、
ちょっと調べてみようかな、
という気にさせてくれるのは、
学習の入り口としては、
効果があるように思った。

細かいことを言えば、
たとえば、システム的に、
履歴は一括削除しかできない、とか、
クリップボードに全文をコピーできるけど、
一部分だけはできない、とか、
そういう不便さはあるけれど、
音声対応言語の場合、
即時聞けるのがいいと思った。

もちろん。

翻訳が常に正しいとは限らない。
そんなふうに言うか?という表示もある。
しかし、実は、翻訳がおかしいのは、
翻訳機能の問題だけではなく、

自分の日本語の問題

だったりするから面白い。
なぜ、自分の日本語の問題かというと、
それは、あたしたちが日常話している日本語は、
高コンテキストで、やたら省略が多い、
ということがひとつあげられる。

たとえば。

主語がないから訳せない、
助詞が抜けてて訳せない、
など。

実は、昨日、母のiPnoneに、
これを入れてあげた。
妹のキャレシは、外国人のため、
母は、キャレシと会話ができず、

ハロー
サンキュー
シーユー(see you)

が精いっぱい。
コミュニケーションしたいができない母にとって、
Google Translateは、ちょっとした、
秘密兵器気分なのである。

がしかし。

昨日、母が、翻訳がうまくいかない、
とあたしに言ってきた。
で、使い方を説明し、練習に付き合って、
わかったことは、母の日本語には、

主語の省略
助詞の脱落
予測不能な語順

などが多くあり、
結果、翻訳が上手くいかない、
ということ。

結局。

英語にするための日本語であったり、
ある程度、文法的に正しい日本語が必要なようで、
省略していることにすら気づかない母には、
思ったほど、上手く翻訳が機能しなかったらしい。

それでも。

ないよりはあった方が心強いし、
夜、ベッドで英語を勉強してみよう、
という気にさせたことは、
大きな効果と言っていいと思う。

あと、あたしが使って気がついたのは、
これは、翻訳だけではなく、

自分の発音の確認になる

ということ。
日本語で話した発音が悪いと、
違う単語として認識され、
結果として、適切に翻訳されない。
普段話している日本語を、
仮にオーセンティックだったとすると、
iPhoneに向かって話す日本語は、
なめらかさや語順、省略がない分、
やや不自然な感じがしないでもない。

でも、北海道人のあたしは、
アクセントがおかしいことがあるので、
そういう意味では、自分の発音が、
機械にはどう認識されるかを知ることができ、
それはそれで、楽しめる。

また、英語で話して日本語に翻訳すると、
英語の発音が悪くて、認識してくれない、
ということもあるので、これは、
英語の勉強になるかもしれない、
とも思った。

あくまで。

体系的な言語学習ではない。
でも、使い方はいろいろあるし、
全く何もしない人に行動を起こさせたなら、
それはそれでいいんじゃないかと思った。
何より、無料で、これだけのことができる、
ということは、純粋にすごいことだと思う。

で、このGoogle Translateを使いながら、
ふと、教育工学の先生の講義を思い出した。

言語の「規範」とは何か。

あたしはこの先生の授業が好きだった。
いつも英語の文献で大変だったけど(笑;)、
とてもステキな先生だった。
その先生の授業では、
言語を学ぶこと、言語を教えること、
その意味を考えさせられた。
その中に、言語の「規範」があった。

たぶん、こういうアプリを使うと、
正しくないじゃん、という意見を聞くから、
ふと、その先生の授業を思い出したのかな。

さて。

明日から、相方が1週間、早出なので、
あたしも早寝早起きしなくちゃ。
明日は今日より本腰入れて、
To Doりすとに書いてある作業をするぞ。

おっと。

VDのケーキとかも、買わなきゃね(笑;)。
忘れそうだわ。
↑ひどい


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「場」を考える。

 
フキノトウ

このところ、ブログを書く頻度が高い。
ブログUP頻度と時間的ゆとりは、
絶対相関が高いと思われる。
そんな感じで、えーっと、火曜日?

みなさま、いかがお過ごしですか。

今日の日中は、新しくDLした文献管理ソフトで、
論文の整理をしようと思ったのに、
午後から、怠さと寒気+眠気に襲われ、
これはやばい!と横になったため、
結局、1日何にもせずに、終了してしまった。

気が抜けて、風邪を引く!

わかりやすすぎでしょ…。
気がはってるときって、
意外と風邪とか引かないよね。

で。

風邪薬とか葛根湯とか飲んで、
大分もちかえしたので、
呑気にブログなんぞ書いてます(笑)。
が、書いたら、大事をとって寝まふ。
↑書かないで寝たら?とは言わないでぇー

さて。

今日は、「場」について書く。
結構、自分的には、勇気ある行動(笑)。
なにせ、「場」については、
多く語られ、研究もされている。
しかし、あたしは「場」のド素人。
だので、勇気ある行動なのであーる。

ここからは、あくまで、私見というか、
戯言として読んでいただきたい。

で。

ちょっと学習について勉強した人なら、
「場」と聞くと、

K.Lewinの「場(の)理論」

を思い出すかもしれない。
Lewinがいっていたのは、
ものすごーく乱暴にいうと、
生得的な欲求などの個人の特性だけで、
人の行動が動機づけられるのではなく、
環境や他者といった環境との相互作用によって、
人の行動は規定されるのだ、ということ。

B=f(P・E)

「B」=Behavior
「P」=Person
「E」=Environment

現在、場の理論は発展しながら、
さまざまな分野で援用されているらしい。
↑一応、調べてみた(笑)

ちなみに。

あたしの立ち位置は、
まったく無縁じゃないが、
ど真ん中でもない。

ま、それはおいておいて。

確かに、人の行動は環境に規定されることが多い、
とあたしも思う。
置かれている場(環境)によって、
全然、異なる行動をとると思う。

実は、昨日、あたしはある人に、
Twitter上で無責任な発言をした。
内容は、

「~する場がないなら、自分で作っては?」

的なモノである。
ひどい無責任な発言である(笑)。

自分が望む場がない場合、
場の理論では、生起しない行動を、
どうやって説明するのだろう?
という疑問がわいた。
行動が抑制された、というのだろうか?

んで。

実は、昨日の発言は、
自分へのコメントでもあった。
修論を書き終えてから、「場」について、
漠然と考えていたのである。

研究や仕事では、何か知識や情報がほしいとき、
「場」に参加したい、と思う。
理由は、知りたいという好奇心と、
自分の知識の不十分さを埋めたい、
という動因低減説のようなものから。

でも。

最近、自分の専門と関係がありつつも、
もっと緩やかに、それでいて興味がわくような、
そんな場が欲しい、と思うようになった。

たぶん。

それは、受動的ではなく、
能動的に参加できる「場」をイメージしてると思う。
人から強要されるのではなく、
自分の興味関心に対する刺激を求めている状態。
すなわち、内発的動機づけを満たしたい、
という状態と言える。

そうなるってーと。

「場」がないときの人の行動は、
何に規定されるんだろう。
B=f(P・E) のE=0の場合である。
そのとき、

人の行動を喚起するのはなに?

ここらへんは、ぜひ、専門の方に、
教えていただきたいところである。
↑調べようという気にまではなれないw;

で、ちょっと話を戻して、
じゃー、場がないとき、どうするか。
大きく2つに大別できると思う。

1つは、もう既にある「場」を変える。
もう1つは、新たな「場」をつくる。

あたしは、さっき書いたような、
自分の欲しい「場」が、
身近なところで見つけられないため、
後者の「場」をつくる
について考えていたのである。

でも。

言うは易しで、実際は簡単じゃない。
人を探したり、活動を行う場を確保したり、
何かを行うための別の作業が色々あるからだ。

じゃー。

そういう煩わしいかもしれないことをも、
いいの!やるの!っと言って行うとき、
何が行動を起こさせるのだろう。
そんな疑問が、頭から離れないのだ。

で、ちょっと論点を変え、
じゃー、「場」に何を求めてるんだろう?
と考えたとき、あたしは、

欲求を満たしたいんだ

と思うのである。
欲求と一言で言っても、色々ある。
↑端折って申し訳ないが

そう考えると、自分の立ち位置は、
やはり「人は生得的に欲求を持っている」
という立場なんだなーと思う。
もちろん、環境との相互作用を否定するきもないし、
むしろ、そのこと自体は、支持派だと思う。
ただ、見ている角度が違うだけで。

んで。

研究のことに限れば、「場」に参加するより、
「場」をつくる方が、いろんなことを体験できる、
という思いがわき始めた。

言い換えると。

「気づき」に対する期待とでも言おうか。
何となく、だけど、物事の正否に関係なく、
プロセスを楽しめそうな気になる。

もちろん。

現実は、楽しむどころか、苦労ばかり、
ということもあり得るし、
望む「場」として機能しない可能性もある。
でも、「場」を作ってみたい、
と思うときは、心が弾む。

そんなんで。

一体、何が言いたいの?
的な内容になってきたんだけど(笑)、
最近、「場」を思うとき、
何が場への参加という行動を起こさせるのだろう?
そして、場に何を求めているのだろう?
ということが気になっている。
動機づけで言うと、方向と強度の問題だよね。

さて。

どんどんまとめられなくなってきたので(笑)、
あたしは、自分の専門と関係があり、
かつ、プロセスを楽しめそうな場を、
現実的に作れるのか?ということを考えつつ、
今宵はベッドに向かいまふー。

明日こそ、本棚の整理をするぞ!
↑怪しい決意




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無駄。

 


1分1秒を惜しむ。

忙しいときは、
ついついそんなコトを口にして、
効率よくタスクをこなしたい、
と思ってしまう。

でも。

同じ1分1秒なら、
ちょっと無駄遣いもいいじゃない、
と思ったりもする。

で、「無駄」を辞書で調べてみた。
(共にYahoo!辞書より)

【大辞泉】
1 役に立たないこと。
  それをしただけのかいがないこと。
  また、そのさま。無益。
2 むだぐち

【大辞林】
1 しただけの効果や効用のないこと。
  役に立たないこと。
  また、そのさま。無益。
2 むだぐち

そうか、役に立たないこと、か。
効果や効用のないこと、か。
と、改めて確認。

そうやってみると。

無駄って、何かをする前とした後と、
どっちの方が多く使われるんだろ?

行動の前に
「それは無駄だからやめよう」
「そんなの無駄だよ」

行動の後で
「それは無駄だった」
「無駄なことをしてしまった」

どっちの方がよく使う?
一般的に、じゃなくて、
自分的に。

あたしは、たぶん、前者。
やったこと自体は無駄だ、
と思いたくない派かな~。
実際は、無駄が多いのかもしれないけど、
無駄じゃないことにしておくことで、
自分を慰めているんだと思う(笑)。

って書いていて、
ちょっと気になったんだけど、
「無駄」とコロケーションが強いのは、
どんな言葉だろう?
なんだと思う?

無料で使える「KOTONOHA」で、
「無駄」と入れてみると…。

ああ、やっぱり「時間の無駄」とか、
「無駄な時間」が多いんだな。

あとは、「言うだけ無駄」とか、
「やっても無駄」なんかが多い。

でも、「無駄ではない」とか、
「無駄にしない」のような、
ちょっと前向きなのもあるな。

いやね、こうしてる時間が、
たぶん、無駄なんだと思うのよ(笑)。
今のあたしにとって、
何かをするときの物差しが、
「時間」になってると思ってね。
だから、「無駄」と聞いたときに、
真っ先に思い出したのが、
「時間」だった。

今日、たまたま寝るまでの間、
何かするにはちょっと中途半端で、
でも、できないわけじゃない、
って時間ができたのよ。
ついさっきの話なんだけど。

じゃ~、何をするか?

と思った時に、ブログかこーっと思ったの。
今日、2回目だっつーのに。
でも、心のどこかで、

本でも読んだら?
論文でも見たら?

とかも聞こえたの(笑)。
現実は、まだまだこなすべきコトがあるからさ。
でも、無視してブログった(笑)。
で、ついでに、「無駄」について、
調べたくなったというかね。

でも、無駄にも2つあるよね。
ガッツリ後悔するような無駄と、

「無駄遣いしちゃった♪」

とかいって笑えるような「無駄」と。
なんか、このタイプの「無駄」は、
愛嬌があるというか。

大げさに言うと、
何かをちょっと無くしたり、
減らしたり、失ったりするかわりに、
ちょっとしたハッピーを、
ホントに小さなハッピーを、
くれるような気がするんだよね。

効率・効果・有用・万能などの前向きで、
一見すると魅力的な言葉に、
最近、ちょっと胸焼けしているようで。
そのせいか、「無駄」とか、
「役に立たない」という言葉が、
ちょっとかわいらしく見えるんだよね。
でも、それって、

単なる現実逃避でしょうか?(笑)



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いくつになっても。

 


その場その場で、必要なものがあります。

だから、賢いことが偉い、みたいな、
気づきがこそが最良、みたいな、
いつまでも恋愛が必要、みたいな、
ベキベキ論的な押し売り調のご意見は、

ご遠慮させていただきます。

それと、できない約束は、
しないでください。
他の人とはどんな約束をしようと、
全然構いませんが、
少なくてもあたしには、

やめていただきたい。

特に、利害関係が既に成立している場合、
言ったんだったらやってください。
できないんだったら、
早めに言ってください。
言うからには、あたしもそうします。

って書くと、気分が楽しくなくなるよね(笑)。

言われる側だけじゃない。
言う方だって、嫌な気持ちになるんだよ。

そんな当たり前のことに、
心がむかない人には、
なりたくないね、
いくつになっても。

さて、寝るか。

今日は1日、あれやこれやとあったけど、
投げ出さずに、よくやったよ、あたし。
頑張った。

ってことにして。

今日も日向ぼっこしていたブーコを連れて、
ベッドに向かうとしよう。
明日も、朝が早い。

いくよ、ブーコ。



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自分の基準が世界の基準。

 
ご近所の海

久しぶりに、海へ立ち寄った。
理由は特にない。
行ったついでに、画像を撮った。

やっぱ、海はいいなぁ。

そんなことを思ったのは、先日のこと。
今日は、朝からお仕事だったため、
早出をして大学へ向かった。
↑寝坊もせず無事到着(笑;)

しかし、それにしても疲れた。
余計な労力を要する日は、
疲労度、倍の倍になる。

授業も仕事も楽しくやろーぜ。

これ、あたしの切なる願い。
大げさではなく、ほんとそう思うのよ。
ま、いろいろあるさね。
島倉千代子だもの。
↑古いしわかりにくい

でも、あれだな。
研究と現場は、イコールじゃないよな、
とか思っちゃう今日この頃。
今に始まったことじゃないし、
多くは語れないんだけどさ。

どうすれば自分なりに、
現場に寄与できるのか。

自分の中でうまく消化し、
考え続けること、加えて、
実践していくのみ。

ともかく。

腐らないこと。
そして、諦めないことだね、
何ゴトも。

いや!

間違った。
諦めてもいいこともあるし、
諦めた方がいいこともあるわ。
↑どっちやねん(笑)

いやさ~、最近、思うんだよねぇ。
区別」は大事って。

何か意見とか考えを言ったときに、
相手に、「そうじゃない場合もあるでしょ?」
的なこと、言われたことととかない?
で、最終的には、そういう場合もあるし、
そうじゃない場合もあるし、

人それぞれだよね!

みたいな話でおわる(笑)。
あたしは、最近、とみに、
この「人それぞれだよね」という話の帰着に、
何とも言えない気持ちになるんだよね。
だって、人それぞれって、

当たり前すぎだもの。

そんな形で話が終わるなら、
何のために、そこまで話したの?
みたいになる。
てか、「人それぞれだよね」は、
文字面には現れていない、
会話放棄、相互理解拒否、
みたいな意味合いもあったりするよね(笑;)。

で。

最終的に、全ての事象を個々の問題、
として放棄してしまうときって、
何がどうなってんだろうね?

いや、いいんだけどさ、
個々の問題で終わっても。

でも、本意じゃなく、そう終わるときって、
ミソもクソも、おっと、下品だった(笑)、
自分のことなのか、一般的にそうなのか、
感情としてなのか、事実としてなのか、
そういうことがごちゃ混ぜになってたりすることが、
結構あるように思ってね。

あたしなんか、すぐに反論するタイプだから(笑;)、
母親には、「嘘でもいいから、そうだって頷け」
的な恐ろしいことを言われてしまうんだけど、
仮に、今、話している話題が、
「自分の経験について」なのに、
その経験が、「多くの人がそうである」
というように語られると、

「あなた個人のことでしょ?」

って言いたくなる。
結局、話している本人が、
「自分のことなんだけさ」
と自覚して話すのか、
「普通、こうだよね」
と、一般的な話題にするのか、
それによって、論点だけじゃなく、
方向性まで変わってしまうかもしれないし。

これは、一例に過ぎないけど、
自分も含め、自分の基準が世界の基準
みたいに話すのは、やっぱし要注意だと思う。
特に、仕事で言えば、異業種間、
生活であれば、異なる環境や状況など、
自分がいるところでは当たり前のことが、
ちょっと違うところに行くと、
途端に異端児扱いされる!
ということは多々あるわけで。

かといって。

人それぞれ、というのもおかしい、
という矛盾しているあたしの考え(笑)。
そこは、区別が必要だなんだよ。
どうやって区別するか、ま~、
いい方の問題もあると思うけどさ。

そういえば、相方はよくあたしに、

君が世界の基準だよね…(泣)

と言っていたことを、
今、思い出した。
↑おい

そんなんで。

誰より区別して話すべきは、
どうやら、あたしらし~。

当たり前のことほど、
実行するが難しいのです。
↑ラジオ「テレフォン人生相談」風

 ― 終 ―


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糸井×矢沢の『お金のはなし』。

 

(画像クリックすると、「ほぼ日」が見られます)


矢沢永吉さんこと永ちゃんと、
ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんが、
お金」について語った番組をみた。
夕食を食べていたとき、
たまたまつけたのが、それだったのだ。

今日、NHKのBSで放送されたこの番組は、
今年6月にUstで流していたトークショーらしい。

お金のことを、あえて。」

このテーマで繰り広げられた、
糸井さんと永ちゃんの話は、
心に響くお話だった。

とくに。

今年、61歳になったという永ちゃんの言葉は、
ずっしりと重く、それでいて力強かった。

「てめぇーの財布から、金出てねぇーもんな」
「お前には敵がいる、苦労したことないことだ」
「自分で自分のケツをふけ」

文字にしてしまうと、当たり前のことを、
かっこつけていってるようにみえるけれど、
35億という想像もできないの金額の借金を、
完済したオトコの言葉は、説得力がすごかった。

一方、糸井さんは。

さすが、コピーライター、という感じで、
モノのたとえや、表現が豊かで、
聞いていて、とても楽しかった。
中でも、「寸法」という言葉に、
なるほどなーと、頷かされた。

糸井さんがいう「寸法」とは、
たとえば、リーマンショックなどの、
巨額なお金の話題について、
「大変なんだよねー」とかいいながら、
目の前の3000円の品物は高い!
と思うような、お金を測るもののこと。

あたしは、それを「尺度」と解釈したけど、
要は、同じお金でも、寸法
すなわち、測る物差しのスケールがバラバラで、
等身大ではないことに問題があるのでは、
ということを指摘していたんだと思う。

結局は、自分の財布からお金を出す感覚で、
ちゃんと測る必要がある、ということだよね。

お金は、見る角度によって、汚く見えたり、
夢を感じたりするものだと思うけど、
でも、どんなお金でも、額面でも、
1000円は、1000円だし、
1億円は、1億円。
そして、自分のお財布に入っているお金こそが、
自分が今使える金額だってことだよね。

よく、母が言っていたのは、
どんだけいいお財布持っても、
中身が伴わなきゃねー、だったんだけど、
ほんと、そういうことだと思う。

そんな感じで。

お二人の対談を見て、
共感したり、反省しながら、
この間書いた↓これを思い出しつつ

「私たちの誤った予測」 (2010/9/9)

お金を通して見えるいろいろなことを、
改めて考えさせられたのでした。
てか、やっぱ、糸井さん、いいなぁ。

ちなみに。

お二人の対談の映像の一部は、
↓こちらで見られるようです。

「お金のことを、あえて」

で、糸井さんを久々に見たので、
ほぼ日も、久々に読んでみた。
真っ先に開いたコンテンツは、
↓こちら。

おとなの小論文教室

ほぼ日ができたころ、あたしは、
このコンテンツを書いている山田ズーニーさんに、
メールを出したり、糸井さんにまで出したくらい、
ヘビーな読者だった。
でも、ちょっとしたきっかけから、
徐々に遠のき、それからは、
ほとんど読むことはなくなっていった。

で、今日、久々に開いたズーニーさんのページには、
出版された数々の本が掲載されていて、
12年って、すごいなーと思った。
なにせ、1冊目の本が出たとき、
嬉しくて、買っちゃったくらいだったから。
と思いながら、ふと、

あたしは12年前、何をしてたんだろう?

と考えた。
けど、思い出したところで、今のあたしには、
懐かしむほどの距離間ではないので、
深く考えるのはやめた。

まぁ、そんなんで。

しばらく、遠ざかってたけど、
これを機に、また読み始めてみようかな、
ほぼ日イトイ新聞。
今年は、ほぼ日手帳も買うつもりだし、
何かの縁かもしれないもんね。
と、考えた方が、楽しいしね。

さて。

楽しいことは大事だけれど、
遊んでばかりもいられないのが現実。
「下り坂の法則」を信じて、
自転車のペダルに足を乗せよーと思います。

でばでば。


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「私達の誤った予測」。

 
on our mistaken expectations


この間、Twitterに貼られていたリンクで、
こんな面白いものを発見した。
それが、今日の画像とタイトル

「私達の誤った予測

あたしたちは、何かを選ぶとき、
そのもの自体の価値を、

何と比較しているのか?

同じものであっても、
その比較対象によって、
価値が変わってしまう。

同じハンバーガーでも、
同じ人物であっても、
その価値は変わらないはずなのに、
置かれている状況によって、高く感じたり、
比べる人を変えるだけで、価値が下がったり、
と、異なる評価をしてしまう。

ということを、理論とデータから、
面白く話してくれる動画である。
最後の質疑応答が、また面白い。
良質な質問やコメントは大事ね。

で、このプレゼンは英語だけれど、
日本語の字幕があるので、
ご安心をーーー。
色々な言語の表示も可能なので、
言語学習に興味のある方にも、
オススメかも?

動画は↓こちらです~。

 

内容の好き嫌い、または、
賛否は色々あると思うけど、
確かに、あたしたちは、
予測が苦手だと思う。
いや、「あたしは」かもしれないけど。

研究方法について学ぶとき、
因果関係と相関関係は異なる、
ということを言われる。

因果関係とは、その名の通り、
原因と結果の関係。
Aという原因がもとで、
Bという結果になった場合、
「AとBには因果関係がある」
といえる。

もっと具体的にいうと、
たくさん勉強しているから(原因)、
成績はいつも高い(結果)。

これは、あまりいい例じゃないか(笑)。
たくさん=量?時間?ってなるもね。

ま、仮に。

勉強時間と量が多いことが原因で、
その結果として成績が高いといえる、
ということにすると、
または、成績が高いのは、
勉強時間と量が多かったからだ、
といえれば、それは因果関係がある、
っていえるってこと。

もちろん、統計的にこれを示すためには、
ちゃんと方法があって、それをクリアしないと、
因果関係とは言えないわけなんだけど。
だって、勉強量や時間が多いだけで成績が上がる?
勉強方法は関係ないの?ってことにもなるからね。

ま、ここでは、あくまで、
原因と結果の関係の例ということで(笑)。
↑おい

で~、相関関係っていうのは、
原因と結果という関係ではないもの。
「AとBには関係がある」としかいえないもの。
だから、どちらが原因で結果かはわからない。

さっきの勉強時間&量と成績を例に取ると、
「勉強時間が長く量的に多い」ことと、
「成績が高い」ということには、関係がある。
ただし、成績が高いから、
勉強時間が長く量的に多いのか、
勉強時間が長く量的に多いから、
成績が高いのか、それは、わからない。

つまり。

予測できるのは、どっち?ということ。
原因と結果がはっきりしている場合は、
予測可能だけど、関係がある、だけでは、
予測はできないということになる。
(関係者の皆様、間違ってないですか?w;)

よく、テレビやニュースで、
本当は、相関関係しかないのに、
因果関係があるようにいっているものがある、
ということが言われたりする。
その結果、誤った予測をしかねない、ということ。
健康被害とかの話題では、多いよね。
たとえば、仮に、

ビールを飲むと太る

としよう。
でも、これは、本当か?
と疑う必要があるよね。
もしかすると、ビールをよく飲む人に、
太っている人が多かっただけかもしれないし。
ビールを飲んだ結果、太った、というためには、
医学的に、というか、実験などをして、
実証しなきゃいけないよね?

でも、もし「あなたの体重は何キロですか?」
という質問と、「ビールはどれくらい飲みますか?」
みたいな質問をして、その結果を提示する場合は、
因果関係じゃなくて、相関関係になる(はず)。

もし、そうなら、ビールを飲むと太る、
とはいえないんだよね。
もし言ってたら、データ(相関)を勝手に、
原因と結果(因果)にしたことになる。
だから、ビールを飲む→太る、という予測は、
誤っている、ということになるよね。

って、ここまで書いて、
本当に因果関係と相関関係を、
ちゃんと説明できてんのか、
心配になってきた(笑)。
検索でヒットして来られた方は、
ちゃんと、文献読んで調べてくださいね(笑)。
心理学や統計の本にあると思いますので。
↑そんなに不確かな情報を載せたのか!

いや、そんなに大きくは外れてないはずだけど、
たとえが悪くて、混乱させているかもしれないから、
わかんね!って場合は、スルーして、

動画をお楽しみください!

というわけで、今日紹介した動画は、
因果関係の話ではなく(笑;)、
ある理論にもとづいたお話なんだけど、
理論は、物事の予測する一つの物差しというか、
観点を与えてくれるものなので、楽しいですよ。

あたしはM1の時、よく、理論は量的だから、
みんながみんなそうじゃない!と言われたりし、
よく、その相手に反論したものだけれど(笑)、
そもそも、論点が違うんだから、
量 vs. 質みたいなのは、生産的じゃないな、
って思うんだけどね、最近は特に。

ま、それはさておき。

そんなんで、あたしたちは、
なぜ、予測を誤ってしまうのか?
ということを、少し考えてみるのも、
面白いかな?って思ったので、
ご紹介でした~。

ちなみに。

この間書いた、幸せの条件について、
この、ダン・ギルバート氏の違う動画が、
考えるヒントをくれるかもしれないので、
リンクを貼っておきます。
↓こちら

「私たちが幸せを感じる理由」

いや、実は、この間の記事を書いた後、
ブログのコメントだけではなく、
何通かメールをいただいたりして、
いろいろとご意見等々聞かせいただいたの。
それが、とても嬉しかったので。
何かのヒントになれば、と。

そんなんで。

今日は、祖母の二十七回忌も無事終え、
夜は毛ガニを無事食べたので(笑)、
作業の続きをして、とっとと寝ます。

腰がね、やっぱ、無理っぽいので。
明日は楽になってますよォォォォーに。
素行のいいあたしに、愛の手をー。
↑こっちの方が無理っぽい(笑)


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幸せの条件。

 
What are the values that make for happy life?

「これは、燃えるゴミ?燃えないゴミ?」
「そろそろ、洗濯物を取り込んで!」
「WOWOW、見ないならやめたいんだけど」
「風が出てきたから、こっちの窓を開けたら?」

作業に集中できそうかな、と思う度に、
母が、話しかけてくる。
それでなくても、残暑厳しい9月初旬、
イラっと感に拍車がかかる。
というか、

作業が進まないでしょ!

と叫びたいのをグっと堪え、
母の対応に追われた火曜日、

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

ああ、もぅ。
今日は、絶妙なタイミングで、
思い出したように母が部屋へとやってくる。
いっちゃー悪いが、たいした用でもないなら、
頼むから、まとめて言ってくれ。
年を取ると、そう頼んだことすら、
忘れてしまうのでしょうか?

さて。

そんなちょっこし困った母が、
この間、買い物へと送っている車の中で、

「昔は、お金で買えないものもある、
 と強く思っていたけど、最近は、
 そうでもなくなったのかしらね。
 人の心も、お金で買えてしまうのかしらね。」

と言っていたのを思い出したのは、
ネットで、↓こんな記事を見つけたから。

「稼げば稼ぐほどハッピーになれるのは
   年収650万円まで、それ以上だと
   幸福感は収入に比例しない」

   (Gigazine 2010年9月7日より)

この記事によると、
「日々感じる生活に対する満足感や幸福感」は、
年収650万円までは感じられるけれど、
それ以上だと収入があがっても差がないとのこと。
ただし、人生全体についての自己評価では、
収入の多い人の方が高いらしい。
人生に満足している」という答えも、
同じく、収入が高い人の方が多いとのこと。

今回の調査では、日々感じる幸せと、
人生全体という2つに分けたことで、
このような結果が得られたとのこと。
日々の幸せは、その日の出来事に影響を受け、
変わりやすいので、2つに分けることで、
年収との関係が見られたんだろうね。

分析方法は、ここには書かれてなかったけど、
比例しないってことは、
幸福感収入の相関をとったのかな?
で、高収入の群には相関が出ず、
650万円までは、相関があった、ということかな?
すみません、英語の原文を読んでないので、
そこらへんはわからないのですが(笑;)。
ま、方法論はちょっと置いておいて、
ともかく、650万円が一つの境界線、てことだね。

で。

この記事の最後には、
こんなふうに書かれていた。

「あらゆる側面で、
 貧しい者にとって人生は厳しいのです」

確かに、貧しいものにとって、
人生は決して楽ではないよね。
むしろ、おっしゃるとおりで、
厳しいと言った方がいいのかもしれない。
あたしも、どちらかといえば、
楽な側にいないので、この意見に関しては、
たしかにねーと思う。

でも、「人生全体」といったときに、
その人の年齢とか、有職か無職か、
また、今後働き続けられるか、
など、未来に対する評価によっても、
結果が違うかもな、とは思うけどね。
ただ、この記事にもあったように、
日々の幸せを感じられることと、
年収には境界線があって、
ある一定の収入を超えると、
日々の幸せにに差がないっていう結果が、
面白かった、てことだよね。
あくまで、量的な調査だからね。

あと、これを読んで知ったのは、
「貧困層」っていうのは、

世帯年収が中央値の半分未満

だということ。
そうなんだ?
知らなんだ。
あ、みなさん、してった?

で。

日本では、2008年の世帯所得の平均は、
556万2000円で、全世帯の中央値は、
448万円なんだって。
これからみると、貧困層は、この半分未満、
つまり224万円未満ってことだよね。

あと。

アメリカでいう年収7万5000ドルっていのは、
中央値との比から計算すると、
日本でいう年収646万円くらいになるらしいので、
この記事のタイトルのようになった、
ってことだね。
4万円くらい、勝手に上乗せされてるけど(笑)、
わかりやすくするために、1万円引いて、
645万円にするのではなく、650万円にしたのね。
そこらへんって、結構いい加減だよね。
研究じゃ許されない?(笑)

ま、そういうわけで、
って、どういうわけでかわかんないけど。

人の幸せは、頭で考えていることと、
実際、感じることに差があるように思うし、
お金があればあったで、お金以外の幸せを求めたり、
恋に破れれば、破れたなりに、別に幸せを探したり、
何が幸せかは、手に入らないものや、不足しているもの、
逆に手に入れたものや、もうすでにあるものなどなど、
おかれている状況によって、結構、
左右されちゃうんじゃないのかしらね。

あたしは…。

おいしいものを食べているときが、
幸せな瞬間かな~(←でたw)。
てことは、あたしの日々の幸せは、
記事の結果同様、収入と関係がありそうだな。
ほら、超貧乏だと、おいしいもの、
食べられないかもしれないでしょ?

でも。

金銭的には貧しいけど、
人生全般の自己評価は、
決して低くないと思うので、
そこは、記事とは異なる結果かもな。
ただ単に、よく考えてないだけじゃない?
ってだけかもしんないけど。

ま~、中年の域になれば、
誰しも、叩けば、ほこりも出てくるし、
古傷のひとつやふたつあるし、
心が貧しくなければ、いいかな~?
って思うけど。
いろいろあって、人生ですからねぇ。

ほんと、島倉千代子だよね~。
↑婉曲すぎてわかんない?(笑)

みなさんは、

最近幸せを感じますか?
何に幸せを感じますか?
何があれば幸せですか?

幸せの条件は、何ですか?



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体調不調の恩恵?

 
秋到来

あたしのブログの訪問者数が、
地味に、増えているらしい今日この頃。
ありがたいやら、申し訳ないやら。
そんな感じの9月最初の土曜日。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

ひと雨ごとに、が近づく、
とはいったもので、
昨日の大雨が明けた今日は、
窓から入り込む風が、

風。

直射日光を浴びると、途端に汗ばむほど、
まだまだ日差しは強いけど、湿度は下がり、
確実にがそこまで来ている感じ。

がしかし。

3日前までは、高温+高湿度。
昨日と、それまでの気温が、
あまりに違ったせいか、
それまでの暑さで、夏ばてになったのか、
はたまた、気圧の変化のせいか、
原因はよくわからないんだけど、
せっかく涼しくなったのに、

昨日は午後から寝込んでしまった。

この夏は、体調が不安定で、
調子があがらんなぁ。
ちなみに、今日もいまひとつ。
メマイが止まらない。

そんな感じで。

調子が上がらなくても、
来週の月曜日からは、いよいよゼミ。
長い夏休みも、とうとう終わり。
休みは、あっつーまだね(笑)。

でもね。

体調は悪く、ヘルニアにもなってしまったけど、
精神衛生的には、いい夏休みだった、
気がする。
修論提出期限が近づくにつれ、また、
激しく気忙しくなると思うけど(笑)、
でも、以前より心にすこーし、ゆとりができた、
気がする(笑)。
↑全部、気がする、かよ

いや、なんかね、ちょっと振り返ったのよ、
コレまでのことを、色々と。
そしたらさ、あたし、

結構、頑張ってきたんじゃね?

って思ってね(笑)。
で、自分ひとりで頑張ってきたわけではなく、
相当、周りに負担を強いてきたわけで。
そして、そのことを改めて反省したりしてね。
そしたらさ、もう少し、

穏やかに生活したい!

って思ったのよ。
心底。

今までも、そう思ったことはあったけど、
でも、やっぱり、その想いよりも、
仕事!大学院!って、そっちに気が取られてさ。
だけど、もうそろそろ、優先順位を、
もう少し上手に入れ換えながら過ごしたい、
って思ったわけですよ。

ぶっちゃけ。

今さら焦ってもね、みたいな。
人より、出だしがすこぶる遅いわけだし、
何かに秀でてるわけでもないし、
たかがしれてるんだから、って、
なんか、そう思えたというかさ、
妙に、納得&実感できたというかさ。
そしたら、ふっと力が抜けてきて、

ま、いっかーーーーー♪

みたいな開き直り的な気持ちになったのよ。
でも、決して悲観しているわけでも、
全てを放棄したわけでもなく、
むしろ、気持ちは前向きになった感じなんだよね。
この間までは、前向きじゃないけど、

前向き的発言にしよう!

と、若干、無理しながら、
気持ち悪いと思いつつ頑張ってたけど(笑)、
今は、そういうのではなく、
素直に思えるというかね。
色々なことをもう少し楽しめそうな、
そんな気がしてるというかね。
↑くどい?(笑)

そんな感じで。

進まない修論に、まったく焦りがない、
というと嘘になるんだけど(笑)、
少し、心に余裕ができたのは、事実。
もしかすると、体調が悪くなったおかげかも~。

体調不調の恩恵?

体あってこそ、って、言われても、
元気なときって、わかったわかった、
ってなるじゃない?
でも、本当に体が動かない、とか、
体調がすこぶる悪い、とかが続くと、
できるときにしか、できない、
ということを痛感するというか。
逆から言うと、できないとは、
何をどうやってもできないというか。

だから、何かできるときは、楽しまないと、
そして、人と会えるときは、会っておかないと、

って、強く思うようになってたんだよね。
ま、いつでも、そう思えるわけじゃないけど、
以前より、格段にそう思っている自分がいた、
ということに、気がついた8月だったのでした。

あ、長かった?(笑)

いやさ~、そんなことを考えつつ、
自分のブログについても思い返したりしたんだけど、
そしたらさー、昔のブログの方が、
書いてて楽しかったし、読み返しても、
自分的に(笑)、楽しかった、って思ったの。
ま、若干、

テンション高過ぎじゃね?

みたいなところはあったけど、
やっぱ、人は、その時々で思っていることや、
意識化はされないけど、なんとなーく、
みたいな心の状態が、反映されちゃうんだなって。

だってさ、中国にいるときのブログとかは、
もう、ネット上にはないけど、
思い出しても、なんか楽しげだったもん。
読者からの反応をみても、そうだったんだな、
って感じられたしね。

もちろん、訪問者数が、
今よりも格段に多かったので(笑)、
いろんな反応があったんだとは思うけど。
でも、読んでる人から、

自分も頑張ってみようと思った

のようなコメントやメールを、
いろいろもらっていたののも、
あの頃だったんだよね。
あ、中国行く前の、学部時代も、かな。

そう思うと、ここ数年のあたしは、
いかに、イケてなかったか、
ということだよな~って思ってさ。
確かに、文句ばっかだったからね。
いや、文句はこれからも言うけどね(笑)。
たぶん、質が違ったんだろうね。

そんなんで。

いろいろ振り返った8月後半は、
半強制的に体を休めることになり、
いい時間を過ごしたのでした、
って、

何の話だよ!

だね(笑)。
いや、意味はないんだわ。
↑おい

さて~。

今日も体調が悪いけれど、
上手につきあいつつ、
修論を書くとしよう。

書く?

いや、構想を練る。

間違った。

構成を考える、だった。
構想じゃ、やばいわな、
この時期に(笑)。

でも。

その前に、まずはランチ♪
食べるが先よー。
食欲の、だからね。
↑年がら年中、食欲のだろ

うふ。


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